110周年企画展講演会・・現役選手へのメッセージも岡谷工業高等学校同窓会
岡谷市の岡谷蚕糸博物館で開かれている、岡谷工業高校創立110周年記念展『製糸業と諏訪蚕糸野球』に併せ10月2日、同館で『野球に熱中した信州人―野球と蚕糸業』と題する講演会が開かれました。講師は県埋蔵文化財センターで調査指導員の西山克己さんで、前任の長野県立歴史館資料課長だった平成25年(2013)に、企画展『信州の野球史―大正から昭和初期にかけて全国屈指の強さを誇った中等学校野球』を開催。その際、岡谷工高同窓会が保存している、諏訪蚕糸野球部の黄金時代となる大正末期から昭和10年ごろまでのボール、バット、寄付金資料などを貸し出し展示、公開されました。
講演会では、明治期から昭和初期にかけ全国レベルを誇った、信州の中等学校野球界の話を中心に進められました。その中で、信州での野球発達史をひもとき、野球が普及していった要素として「長野師範(現信州大学教育学部)出身の教員が、小学校で野球に取り組んだことも一因」とし、太田水穂(松本市出身、後に早稲田大学教授、歌人)、島木赤彦(本名・久保田俊彦、諏訪市出身、アララギ歌人)が引率し、試合を行った歴史などを取り上げました。
また、第1回早慶戦で慶応の勝利に貢献し、後にともに野球殿堂入りをする櫻井彌一郎、宮原清(ともに上田中学=現上田高校出身)の2人を挙げ、「櫻井、宮原が日本野球の礎を築いたと言っても過言ではない」とし、「こうした背景があって信州の中等学校野球熱が盛り上がっていった」としました。
大正4年(1915)から始まった、現在の夏の甲子園につながる全国中等学校優勝大会で、長野師範、松本商業(現松商学園高校)、長野商業(現長野商業高校)が活躍、昭和3年(28)の松本商業の全国制覇、同5年の諏訪蚕糸の準優勝などにも触れました。その中で、諏訪蚕糸が全国レベルにまでなった背景に、「蚕糸業のバックアップがあった。その裏付けとして蚕糸野球部後援会の入金知らせ資料や、松本商業との試合応援ビラなど多数が『御子柴資料』として残されている。多額の寄付をしているのは、多くは製糸工場だが、企業が得た利益を地域に還元するという姿勢が見られる」としました。
最後に、今回の企画展で展示されている学校、同窓会の資料について「非常に貴重なものであり大切にしてほしい」と指摘。その上で、高校野球へのメッセージとして「監督も選手も、諸先輩たちが築いてきた歴史や伝統を真摯に受け止める。そして、練習や試合でのグラウンドマナーは社会マナーであることを自覚していくことが必要」と結びました。
講演会はコロナ禍のため感染対策に配慮。人数を絞っての開催となりましたが、一般のほか同窓会役員、昭和43年(1968)に夏の甲子園に出場した硬式野球部の丸山倍男・元監督、エースの豊田堅一さん、捕手の兵藤兼夫さんの黄金バッテリーらが来場。西山さんの興味深い話に耳を傾けました。
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